『アベンジャーズ:インフィニティウォー』に対するこの上ない期待


今となっては『ブラックパンサー』『ソー:ラグナロック』以前に公開された映画『スパイダーマン:ホームカミング』を劇場まで見に行った際のことであるけれど、それはエンディングにキャプテン・アメリカ (クリス・エバンス)が登場した際のことであった。付近から女性の悲鳴に似た声が上がり、それは明らかに喜びの悲鳴ではなく、その場にいないクリス・エバンスさんに同情の念を禁じ得ない類の悲鳴であったのは非常に残念なことであった。

いい大人の俳優が控えめに言ってもかなり恥ずかしい風体で本気の演技、本気の脚本・VFXを展開するマーベル映画において、女性が思わず悲鳴をあげるキャプテン・アメリカの風体はいかばかりであったのか・・・



captainAmerica
(TAKARA TOMY A.R.T.S キャプテン・アメリカのちょっこりさん)




かつて友人にマーベル映画のすばらしさを伝えるために、「キャプテン・アメリカ」のクリス・エバンスさん、「ソー」の人クリス・ヘムズワースさんの役のために鍛えら上げられた筋肉美を説明したところ



「・・・筋肉質の男性はちょっと」


という反応を得たことや様々なことを考え合わせると、重度に筋肉質な男性像は大多数の日本女性に敬遠されるのかもしれませんが、これもマーベル映画にとって残念なことです。



しかし、マーベルシリーズ最新作『アベンジャーズ:インフィニティウォー』(4月27日(金)公開)にかける私の期待は今年度一番に高いのであった。




さて、「キャプテン・アメリカ」といえば、戦争孤児スティーブ・ロジャースが第二次世界大戦時代、政府主導の遺伝子操作兵士作戦によりヒトとして驚異的な身体能力を獲得する物語であり、第一作『キャプテン・アメリカ:ファースト・アベンジャー』(2011)を見た際、私は極度の睡魔に襲われ、ロジャース青年が超人化した所までと幼馴染のバッキーを救った数分間と敵が撃滅された所しか覚えていない状態だったのですが、その記憶をもって第二作「ウインターソルジャー」(2014)を見て内容を全く理解できなかったのもそれは当然のことであったと言えるかもしれない。

しかし、第二作の敵役ウインターソルジャーは実に格好良かったな・・・という記憶を頼りに第三作『キャプテン・アメリカ: シビルウォー』(2016)を見たのであった。そしてウインターソルジャーが主役だったのではないかという印象と共に劇場を後にし、確認のために第一作『キャプテン・アメリカ:ファーストアベンジャー』のDVDを購入して見直してみたらば、『キャプテン・アメリカ:ファーストアベンジャー』、傑作であった。「冒険」「イジメ」「資本主義」「民族的多様性」「反戦」「正義」「エンターテイメント」「左腕があんな風になる前のバッキーの初々しい姿」等々かなり奥が深い作品であったことを知り、現在まで繰返し見ているのであった。そして『キャプテン・アメリカ:シビルウォー』の続編にあたる『アベンジャーズ:インフィニティウォー』の公開があと数週間先に!


バッキーのちょっこりさんも作って欲しいなと期待しつつ。





キャプテンアメリカと今までのところほとんど人類に資することを行っていないウインターソルジャーの雄姿


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冬季五輪における仏像の哀しみ


開会する前は北から美女軍団がやってくるらしい位しか興味はなかったものの、始まってみればそこに至るまでの過程を想像し、涙を流す勝った選手にもらい泣き、その心の内をを想像し、涙を流す負けた選手にもらい泣き。生中継を見るため夜更かしし、競技日程と放送予定表を確認しつつひっきりなしに放送局を変え、見れないものは録画。テレビ受像機の前から動けない実に多忙な2週間が終わった今、味気なさを感じつつ自分もがんばらねばいかんなとの感じているのであった。

私の冬季五輪最高点は、競走馬の中に小鹿あるいはドーベルマンの中にマルチーズのような髙木菜那選手がマススタート一位でゴールしたあの瞬間でしたが、皆様はいかがでしたでしょうか。羽生結弦選手一位確定時のテレビ視聴率は46.0%らしいけれど、残りの54.0%は一体何をしていたのか。止むに止まれぬ事情のためにその瞬間を見られなかったのかもしれない。例えば奈良に仏像を見に出かけていたのかもしれない。そのための手続きは五輪に美女軍団がやって来る位しか興味がなかった頃に済ませていたのかもしれない。その仏像は穏やかに厳かに立ちつくす如来・菩薩像ではなく、如来・菩薩を警護する設定の闘神群であり衝撃を受けるほどに動的、心を奪われるほどに剛強であったかもしれない。五輪の解説者ならば「鉾のメランコリーグラブがきまってスタイル入ってますね、カッコいいです」と言ったかもしれない。解説は老若男女の初心者向けに分かりやすくお願いしたいと思ったかもしれない。寂しさを感じつつ春日大社で鹿の頭をなでていたら、シカせんべいをせがむ別の鹿に尻を噛まれ悲鳴をあげたのかもしれない。そしてせめて東京五輪期間は忘れずにスケジュールを空けておこう、同じ過ちは繰り返さないようにと思っていたのかもしれない。

羽生選手国民栄誉賞おめでとうございます。








あけましておめでとうございます

2018年賀

水墨的生活とは看板に偽り、これは水墨画ではないのではないかと思われた方、あなたは年明け早々冴えている、冴えまくっているかもわからない。これは水墨画ではなく、色紙を切って貼ったものなのであった。なぜ水墨画でないかともし尋ねられたら、私はこう答えるかもしれない。昨年を通じて色々ありましてすっかり腕が鈍ってしまいましたが、その色々を一つ一つ数え上げるにはあまりに無味乾燥なことばかりで読まれる方も退屈されましょうから、そこは割愛させていただき取り敢えずは

あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願い致します。



シラス一匹、米一粒たりとも無駄にできないということ



野生の猛禽ハヤブサ的な鳥が、ワタシの居住する住宅の屋上を食事処に定めたらしく、捉まえられた鳥の羽やら何やらが屋上から雪のように舞い落ちてくることが本年しばしばある。昨日外から奇声が聞こえ、窓ガラス越しに外を見ると、高速で真っ直ぐこちらに向かって来るハヤブサ的鳥を正面に見て狼狽したところ、上階から羽を散らせながら右方向に逃げるハト、部屋の窓にぶつかる直前に左側に方向転換するハヤブサ的鳥。ハトの逃げた方向を追ったけれど、二羽とも姿を見失いその先のハトの運命は分からず。ハトも災難だけれど、猛禽類も絶滅が危惧されているらしく、食物がなければこの寒い季節まず野生生物は生き延びることはできず、餌付けもできず、みんながんばれとしか言えず。しかし猛禽類の狩りの現場を初めて目にして感動しました。

他生物に食べられる心配の無い人間、特に食物を手に入れるのに命がけになる必要もなくちょいと近くのコンビニに行けば足りる日本人であることに感謝するのであった。

感謝・・・・・・便利過ぎてともすれば忘れがちな感情。そういえば子供の頃、親や幼稚園・学校の先生から「食べるときに作ってくれた人たちに感謝して『いただきます』と言いましょう」と教わった。野菜を作った人、魚を網で引上げた人、加工した人、調理した人に感謝。正しい。正しいことだけれど。

経済的活動は相応の金銭対価をもらった時点で或る程度完結しているのではないかということはさておき、その労力に感謝。だけれど、教わった「いただきます」にもっと大事なものが欠けているのに気付いたのはずっと後になってからなのでした。

「我々が食べるほぼ全てのものは生物・生命である(塩以外は生物自体または生物の生命活動による産生物)」という根本的な事実。そして生命は自分自身が生きるために存在しているのであり、人間に食べられる事を目的に存在しているのではないという事実(一部の寄生虫を除く)。「人は一人で生きているのではない」というけれど、どれだけの生命を犠牲にして今まで生きてきたのか考えると、生命を犠牲にしてくれた生物に感謝してもし尽くせず、浪費した人生について謝っても謝りきれず、せめて腸内細菌だけは大事に育てようと思う年の暮れ。「いただきます」に感謝と謝罪を込めて。



『We Feed the World』:食物はどのように生産されるのか、大量生産が人々の生活や自然環境をいかに変化させたのかを明らかにするドキュメンタリー。



祭りの話

「みんなが行くところに行きたいな~」

とかつてジンジャー・ワイルドハートが叫んでいたように(→ 確認はこちら)、皆が行きたくなる所といえば、愉快な気分を味わえそうなテーマパーク、フェスティバル、祭り等、華やかな場所・イベントが考えられるけれど、ここに翻訳者達が集う祭りがある。



翻訳祭


「翻訳」の地味な語感と「祭」の高揚感との相性の悪さがたまらない。実際のところ祭りというより業界勉強会のように、一年に一度翻訳に関連したテーマごとに講演やシンポジウムが開かれ、さらに翻訳用ソフトウェアなどの製品が展示される実務的・堅気な催しなのであった。

本年度の参加申し込みはうっかりしているうちに締め切られていたらしく、確かめてみれば今年は有益そうな演題が多く参加できないのが少し残念だけれど、昨年参加した祭りではあまり有益な情報は得られず、記憶に残っている情報も一点のみなのであった。


「マシュー・マコノヒー」をどうすべきか。


(※「マシュー・マコノヒー」とは人間、米国男優。顔は浦和レッズの槙野と同系列、カナダのトルドー首相とそっくり)
演者は英語の原音に似せて「マシュー・マコナヘイ」と記載すべきであると鋭い目つきで、冷笑的に語るのであった。


「Matthew McConaughey」を「マシュー・マコノヒー」と読んでも「マシュー・マコナヘイ」と読んでも英語圏の人達には通じないような気がするけれど、「大谷翔ヒー」「内村航ヒー」などと海外で発音されるようなものだろうか。



「そんなに真剣にならなくても・・・・・・」


と、その時の私は思ったのであった。


「マコノヒー」が定着してしまった現在、「マコナヘイ」への突然の変更は様々な混乱が生じそうであるし、本人が抗議するのなら訂正すべきだけれど、目・耳に入った際に浮かぶのが、あの顔、あの声、あの姿なら(→ 確認はこちら)「マシュー・マコナヒー」でも「マシュー・マコナヘイ」でも「マシー・モシノ平」でも問題ない気がするのだけれど。日本語の発音と英語の発音は違うということを覚え、違いを確認しておけば良いのではないかしら。しかし、先日映画館に出かけた際に(『Thor: Ragnarok』を見ました)マシー出演の公開予定作品『ブラック・タワー』宣伝広告写真の等身大マシーがあまりに格好良く、強い衝撃を受けたのであった。マシーについて妥協を許したくない熱狂的ファンもいるのかもしれないなと気付いた最近。


※陰惨なストーリーながら後味の良いマシー出演作『トゥルー・ディテクティブseason 1』




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